top of page

劇団劇作家主催12月公演 平林たい子没後50周年記念「世界が私を嫌っても」劇評公開! 

『小さき、偉大なアクティビストたち―時を越えて、“私も”また同志である―』/丘田ミイ子 


 時代は進んでいるように見えて、その実、戦前に取り残されたままになっていることも多い。情報ツールの多様化や更新されゆくハイテク技術。そんなハード面の目覚ましい進化に対し、そこで生きる人々が風通しよく生きるためのソフト面の環境は整っているとは言い難い。

 すべての個人が平等に扱われているとは到底言えず、性差による不利益が解消されないことやジェンダーギャップ指数の低迷(2022年現在146カ国中116位)など女性の権利を巡る問題もその一つである。

 大正から昭和にかけて平塚らいてうを中心に女性の政治参加をもとめる権利運動がなされるも、実際にそれが認められたのは戦後の1945年。さらにその40年後には男女雇用機会均等法が成立するが、2022年の今、国会や都・区議会などを筆頭に一般企業の幹部組織、もっと言えば岸田國士戯曲賞やM-1グランプリなど文芸からエンタメに至るまでの様々な賞レースにおける審査員の人選でもその均衡は保たれているとは言えない。

 在りし時代の潮流に抗いながら生きた、かつてのアクティビストたちの健闘があったからこそ、その刷新とともに今ある文化の土壌も築かれた。演劇も漏れなくそうである。しかしながら、ふと、私たちは未だ彼女や彼らと何ら変わらぬ日々を生きているのではないか、と背中を冷やすような一瞬もそこにはあった。 

 だからこそ、この演劇は今の時代に生まれる意味があった。時代を遡り、平林たい子という一人の女性が自身の思想を貫き、文学への道を切り拓いていくその中で度々衝突する女性運動の険しさを如実に伝えながらも、あくまでその眼差しは今へと向けられていたように感じる。そんな覚悟と意義に満ちた2時間強であった。

12月15日(木)より4日間にわたり、TACCS1179にて上演された劇団劇作家の『世界が私を嫌っても』。メンバーである有吉朝子が明治生まれの文学者・平林たい子の激動と波乱に満ちた半生を描いた本戯曲は、「日本の劇」戯曲賞2020において佳作に選出されている。昨年9月にはその成果発表として南河内万歳一座の内藤裕敬の演出によるリーディング公演が上演されたが、ホームである劇団劇作家の本公演として本作が上演されるのは今回が初めてのこと。演出は文学座の西本由香が手がけた。激動と波乱に満ちた演劇をおいそれと切り取ることは決して容易ではないが、その魅力を語るにはまず顛末を語る必要がある。そこにあったのは、たい子をはじめとする、小さき、しかし多くのアクティビストたちの姿であった。

 物語の冒頭、時は大正6年、たい子(小石川桃子)が生まれ育った信州・上諏訪のある夏の午後である。「女学校に行きたい」と言い出したたい子を、母・かつ美(久行敬子)が反対するところから始まる。

「家を助けるのが子どものつとめです」


そう台詞にあるように、当時は女性が学校に通うことも難しい時代。しかしながらたい子の意思はこの頃から固く、すでに文学への道を志していたのである。同級生のミツ(山本由奈)や千代子(小泉まき)の激励や恩師である川上(桧山征翔)の後押しもあって、たい子は晴れて女学校への進学を決めるのであるが、そこはたい子に言わせれば“女奴隷をこさえるための収容所”であった。裁縫の課題を放っぽり出し、癇癪を起こしたたい子はミツと千代子になだめながら、布地を踏みつけ、こう言い放つ。


「ここにいてもゾラにはなれない」


 フランスの自然主義者であったエミール・ゾラは、たい子の文学における指針の一人であった。その著作『ジェルミナル』の翻訳を手がけた先生を頼りにたい子は上京を決意する。家族の反対を押し切り、ミツや千代子の協力の元なかば家出のような形で上京したたい子であったが、その道は厳しく険しいものであった。

 アナキストである虎三(近藤隼)との出会い、牢獄への収容。逃げるように渡った大連で妊娠に気づき、出産するも娘はたい子の母乳を介して感染した脚気によって二週間で死んでしまう。満身創痍で東京に舞い戻ったたい子は文学の同志である林芙美子(秦由香里)と下宿を共にする。しかし原稿は全く売れず、お金を作れなかったたい子は、上京を見守ってくれた父・三郎(中嶌聡)の葬儀にも出られなかった。


「明日、諏訪に帰るから」


 そう決意したたい子の元を訪ねたのは、疎遠となっていた故郷の友人・千代子であった。女学校卒業後に女子大に進み、貧しい者がより貧しくなる資本主義のシステムに辟易した千代子は革命に目覚めていた。「我々のゾラになって」と仲間の手がける雑誌への寄稿をたい子に求めにきたのである。しかし、その思想は一見近しく見えても、たい子が掲げる本質とはまるで違うものであり、軋轢は露わとなる。卒業ぶりに再会を果たした二人は思想をぶつけ合い散り散りになるが、その衝突に闘争心を燃やしたたい子は故郷へ帰ることをやめ、再び文学の道へと舵を切る。

 5年の時を経て、たい子は政治活動家で翻訳家である小堀(越塚学)と結婚をし、文学界でも名声を得始めていた。芙美子や劇作家の円地文子(森脇由紀)とは同じ“女流”文学家の道を歩む同志であるが、“女流”という冠にたい子は反発を続ける。記者の横山(辻本健太)や夫の政治活動を監視する巡査・市ヶ谷(永野和宏)に追われながらも躍進目覚ましいたい子は多忙を極めていた。その傍らで、5年前の衝突でその袂を分けたかつての盟友・千代子は革命の志なかばでを遂げる。

 その後、たい子もまた病に伏すが、夫の小堀やその身を案じて諏訪から上京した母・かつ美と友人のミツの献身的な看護の末、見事復活を遂げ、文学界では「不死鳥(フェニックス)」と持て囃される。文学者としての評価を恣にしているように見えたたい子であったが、“世界”は徐々にたい子を遠ざけはじめていた。

同志であった芙美子の3回忌にその夫である緑敏(西村壮悟)や文子らと法要を終えたところで、たい子は夫・小堀の不貞を知る。たい子もまた過去に不貞をはたらいており、小堀はその頃から埋められぬ距離を感じ始めてはいたものの、婚姻関係の解消には至らなかった。しかし、限界を感じていた小堀は外で別の家庭を築いており、その相手がかつてたい子の作家活動や身の世話のサポートに勤しんでいた旧友・ミツなのであった。同志と夫と旧友を失い、一人ぼっちになったたい子は、みんなで食べるはずだった鰻をかっこみながら、記者からの電話を受ける。

「夢が無くては死んでも同じ、これでしたね?」と座右の銘を再確認されたたい子は、電話口に向かってこう放つ。


「ええ……書いて見せます、世界が私を嫌っても…」


 「アクティビスト」と聞いて、真っ先にあげられるのは、言うまでもない主人公の平林たい子である。次いで挙げられるのは革命の中無念の死を遂げた旧友の千代子、文学者としてともに名を馳せた林芙美子と円地文子なのかもしれない。


 しかし、決してそれだけではなかったところに私はこの演劇の大きな魅力を感じたのであった。たい子の女学校進学や上京を反対していた母・かつ美は、語られているセリフでこそ時代に逆らわぬ保守的な母に見えるが、その実は自身も女学校を優秀な成績で卒業し、毎朝隅々まで新聞に目を通す前衛的な女性であった。その精神はたい子への態度の端々にも現れる。表向きにはたい子の決断を反対しながらも、本心ではその邁進を激励し、どんな時も誰よりの理解者であろうとしていた。

 旧友・ミツもまた同じである。紡績工場の娘として育ったミツは早々に結婚をし、「次の世代を育てるのは、大切な仕事」だと3人の子どもをもうける。その後、夫が工場争議で暴漢に襲われた後死亡し、今で言うシングルマザーとなったものの当時はそのような状況が許されるわけもなく、泣く泣く子どもを養子に出した後一念発起で上京し、たい子の作家活動を支える。


 その後は、形としてはたい子から夫を略奪したことにはなるが、彼女の人生を主語に考えるのであれば、子どもを奪われ、故郷を捨てた先で新たな伴侶を見つけ、さらには再び出産をするという、転んでも立ち上がり続けた強かな生き様があった。彼女たちの姿を見て、私はアクティビストやフェミニストとはなんたるかを改めて考えた。彼女たちの人生は遠くから見つめると、「家庭を守る」ことに従事した女性であったが、近くで見つめると、自身の思想を地図にささやかにも確かにその歩みを紡いできた市井のアクティビストであったのではないかと思えてならないのである。それを端的に示すようなセリフの発言をなくしてそう感じさせた俳優の技量もまた素晴らしく、私には「世界が私を嫌っても」と思っていたのは彼女たちもまた同じだったのではないかとすら思ったのである。


 そんなアクティビストたちは女性たちだけではなかった。

 たい子の才能をいち早く認め、両親を説得してまでその志を後押しした恩師の川上をはじめ、ともに牢獄に収容されたアナキストの虎三、たい子の波乱の人生に伴走しながら自身も政治活動に勤しんでいた夫・小堀や芙美子の伴侶としてその作家性を誰より理解し尊重していた緑敏の生き様は、時代にアンチテーゼを掲げることなくしては送れないものだと感じた。もっと言うのであれば、たい子の活躍とその最新作を追い続けた記者の横山、対立する巡査という立場ながらもたい子や小堀と交流を続け、後には雑用からペットの世話までを引き受けることになった市ヶ谷にもまた彼らなりの信念があったと想像する。

 そして、故郷の父である。三郎は、家父長制が主流であった当時にしては柔和にたい子の成長と決断を受け止め続けていた。その姿は時代にとっては新しい父親像にすら見えた。そんな父の葛藤が露わになるこんなシーンがある。

 駅でかつ美とともにたい子の上京を引き留める中で、たい子から恩師の川上の名が出た時に三郎は思わずこう言ってしまうのだ。


「先生に惚れてるのか」。


 すぐさま、そこにいた女性全員が三郎の発言を咎めるが、たい子は列車へと駆けて行ってしまう。汽笛が鳴り、駅に残された三郎は「俺が悪かった」と詫びる。悪気こそなかったが、その後も三郎はその一言を悔い、責任を感じ続ける。人前では大連で妊娠をしたたい子のことを「親不孝の大嘘つき」と吐き捨てるが、雨の中差し出された傘を借りることを拒み、背中を小さく丸めて去っていくその姿は自責の念そのものであった。「あの子を心配しても無駄です」と言うかつ美に「まあ、いいさ」「無駄じゃない人生なんて、あるもんか」と都会へと去りゆくたい子を激励した父である。そんな父の自責や葛藤もまた、見方によっては一つのアクティブなのではなかろうか。

 

 そして、こんな失言はなにも三郎だけに限らない。今の世でもしばしば、男女の連帯や共鳴を安易に色恋に結んでしまうような迂闊な発言は性別を問わず散見される。それを発する前にできれば想像力を発動させてほしいとは願うが、だからといって当人が性差別者であるというレッテルを貼ることもまた安直ではないかと考えた。そう考えさせるだけの深いパーソナリティと文脈の描写がされていたことにもまた、私は本作への信頼を感じたのである。



 そんな風に登場人物がすべからく「時代」を背負っていた。それはそのまま俳優の覚悟に置き換えることができる。全ての俳優が言葉の奥にあるものを光らせながら舞台に立つ様は、描かれていること以上の景色を、その切実をつぶさに観客に伝えていたのではないかと思う。言うまでもなく、そんな心の機微を難解ではないしかし心に落ちた時に広がりを持つようなセリフで描いた戯曲と、それらを溢すことなく掬い上げた繊細な演出の力は大きい。


 私もまた2022年を生きる女性であり、見方によれば、アクティビストでもあるのかもしれない。叫ばれている数に比例しない女性の権利の浸透にやきもきしながら、「全ての人間は対等に扱われるべきだ」という主張を、時代の流れのように来る日も来る日も垂れ流されていくSNSというオンラインの窓に向かって時折叫んでいる。そうしたところで無力さは拭えず、オフラインになった途端にふと、えも言われぬ孤独を感じる。

 

 そんな時に私を支えるのはシスターフッド、「#私も」と声をあげる同志の存在である。加速するフェミニズムの中で発生したように思えるその事象は、言葉という形こそなかったものの、劇中でも感じることができた。それは、故郷で共に志を語り合った若き日のミツ・千代子・たい子との関係や、作家仲間である芙美子とのやりとりにつぶさに抽出されていた。

 たい子の性格は激しく、自身の思想を強く掲げる上で傍若無人に周囲を振り回すこともしばしばだ。しかし、友人であるミツが「お母さん」になるという未来を語った時、「ほんとうに嬉しい?結婚」と確かめることはしたが、自身の選択とは対岸のそれを選ぶミツを否定したりはしなかった。


 そして、「夢が無くては死んでも同じ」という座右の銘は、故郷の地にいた頃から繰り返し千代子と誓い合った言葉である。思想を衝突させたまま死別してしまった後、病に伏したたい子はミツと二人きりになった居間で「千代ちゃんに会いたい」と泣く。怒りの涙を見せることはあっても、悲しみのそれを容易には流さぬたい子の弱さを、剥き身の姿を、私はそこに見た。たい子が小ささを見せられるのは、彼女たちの前だけだったのかもしれないと、そう思う。


 一方で作家人生を共に走り続けた芙美子との間にもまた種類の違う、けれども強い連帯があった。希望の言葉で夢を語り合った千代子やミツとは違い、二人は表立って励まし合ったりはしない。諏訪に帰るというたい子が「机、あなたにあげる」と言うが、止めるどころか「辞書も欲しい」というのが芙美子なのである。

 しかし、外から虎三の怒号が聞こえた瞬間、芙美子の表情は一変する。「いつも通り、窓を伝って隣から逃げな!」「原稿忘れないで。探偵小説、最後の〆切でしょう?」そう叫んで、押し入ってきた虎三に立ち向かい、芙美子はそっと、しかし強い力でたい子をかばうのである。文学を志し、都会と時代の荒波の中ともに情熱を燃やし続けた同志ならではの共鳴と連帯。抱き合いはせずとも心で確かに手を繋ぐそんな二人の姿にもある種のシスターフッドを感じたのである。

 舞台の上では、大正6年から昭和30年までの長い年月が流れた。上諏訪の停車場、東京・京橋の書店、芙美子と暮らした下宿先、出版記念会場、たい子の家。シンプルな舞台美術と少ない小道具。そんな削ぎ落とされた空間で時の流れや変化を鮮やかに立ち上がらせていたのは、照明や音響の効果を含む演出の細やかさだったのではないだろうか。


 故郷を象徴するリンゴが度々景色の中に現れ、それを食すことをたい子が拒む一幕は実に示唆的であったし、成功とともに質と柄が変わりゆく着物もまたたい子の人生を表出しているようでもあった。鳴り響く蝉の声が、会話の緊張と緩和に応じて鳴り止む瞬間は、通常ならばややわざとらしく感じるものであったかもしれないが、「鳴り止んだ」のではなく、それが「耳に入ってこない」ほど会話が深刻を極めていることを俳優の声色や横顔が真っ直ぐと伝えてくれていた。

 最後、たい子はうなぎを食べながら泣いているように見えた。怒りか悲しみか、そのどちらでもあったかもしれない。そこにリンゴは出てこなかった。「食事をしながら泣く」という所作は言うなれば「逆境の今日を生きようとする」行為でもあって、悔しい時に度々ご飯を食べながら泣く私はその姿に共感し、そして、エンパワメントされた。

 

 遠ざかる世界に「待って」と手は伸ばさず、しかしその世界で明日も生きていくということ。世界に好かれることや迎合することよりも、世界に嫌われても変えるために抗うことを選んで生きていく。そんな小さきアクティビストたちの生き様は、今の世界を生きる私にいくつものことを伝えた。

 “小さき”というのは、もちろん存在の大きさの話ではない。暮らしや家庭といった社会の一部で同時に本質であるそのいくつもの小さき場所から、果てしのない世界を変えようとする人々の偉大な、多くのアクティブがそこにはあった。それらのシーンは今を生きる私を勇気付け、そして、「まだ変わらぬものか」と絶望をさせた。しかし、絶望こそ原動力でもある。劇中でたい子が幾度となく立ち上がり、息を吹き替えし、「不死鳥」と呼ばれたように、私もまたその思想を死せることはできない、と劇場の椅子で小さく拳を握ったのである。

 劇場を後にして、SNSを開く。そこにもまた多くのアクティビストたちがいて、今日も「私も」という声はそこかしこから聞こえてくる。やはり、時代は違えども、私たちは同じ道を歩んでいるのだと思う。その時間、舞台と客席、時をも越えて、私たちは同志であった。「いつになったら変わるのか」と世界を時々憎みながら、そして時には嫌われながらも、未来を思うと、やはりその声をあげられずにはいられない。

 余韻の冷めやらぬ帰路でリンゴを買った。一人になった台所で切り分けたその一つを手に取って齧る。かたく、甘く、酸っぱいその味に、たい子の人生を重ねた。皿を机の隅に置いて、パソコンを開く。今の時代に生まれる意味があった演劇なのだから、今の時代にこそ語られるべきことを綴ろうと決めた。

 

「ええ……書いて見せます、世界が私を嫌っても…」


たい子の最後のセリフが何度も、何度も胸の中へと落ちてきた。

(舞台写真撮影:賀澤礼子)





Comentarios


bottom of page