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『わが町』の勉強会をしました

お久しぶりです、黒川です。 先月の25日に劇団劇作家内の勉強会が開催されました。 題材はソーントン・ワイルダー作の『わが町』、講師は早稲田大学教授の水谷八也先生です。

何を隠そう、水谷先生は私の恩師で、早稲田大学の修士時代にゼミで2年間お世話になりました。 当時はちょうど先生がサバティカル(研究休暇)に入る直前だったということもあり、ゼミ生をあまり募集しておらず、なんと2年間、先生と私の一対一のゼミが繰り広げられました。

一対一のゼミは楽しいです。

個人の趣味が爆発します。

英米文学のゼミであるにも関わらず古今亭志ん朝の落語について語り合ったり、フランスの画家アンリ・ルソーについて語り合ったりしました。


アンリ・ルソーの自画像。

ちなみに、アンリ・ルソーは人物画を描く際にモデルの目や鼻や顔の大きさを綿密に採寸し、それをそのままのサイズで(遠近法などは一切無視して)キャンバスの上に再現したそうです。それゆえに「自分ほど厳密なリアリズムの画家はいない」と自負していたのですが、なぜか「素朴派」という分類にされてしまったそうです。 また、初めて個展を開催した際にチラシに会場の情報を載せ忘れたためお客さんが一人も来なかったり、自分の作品を売る際にはその作品に使った絵の具の色の数で値段を決めていたりという、衝撃のエピソードもあります。

B’zは曲を作る際に松本さんと稲葉さんがアイディアを出し合い、出されたアイディアはとりあえず「やってみる」という方針をとっているらしいですが、私たちのゼミも興味を持ったことはとりあえず「話してみる」という方針であったため、一度出された話題はとめどなく枝葉を広げていくのでした。 とても楽しい2年間でした。

今回、ワイルダーの『わが町』を語るにあたって、水谷先生は以下のように前振りをしました。

「『わが町』は非常に簡単な英文で書かれており、「日常って大切だよね」ということを書いた無害な作品だと思われている節があります。でも本当は、高い技術を駆使しながら、とてつもなく大きなものを壊そうとした作品なのです」

その壊そうとした「大きなもの」とは簡単に言ってしまうと「近代の劇場の常識」や「近代的な感性」なのですが、それを壊すためにワイルダーがいかに丁寧に常識を覆し、観客を誘導していったかということが、テキストを追いながら説明されていきました。

たとえば、ワイルダーが行った工夫の一つに「時間の操作」があります。

『わが町』の舞台はニューハンプシャー州のグローヴァーズ・コーナーズ、第一幕の日付けは1901年5月7日であることが冒頭で明言されるのですが、その後、主な登場人物のギブズ夫妻が初めて舞台上に現れた際、「舞台監督」(という登場人物がいます)が以下のような説明を加えます。

舞台監督 ギブズ先生が亡くなったのは1930年でして、いまの新しい病院には先生の名前がついています。奥さんのほうが先でした。だいぶ以前のことですがね。

1901年と明言されている舞台に立つ舞台監督が1930年のことを過去形で語るという現象、また、目の前にいる登場人物が「既に死んでしまっている」ことを知らされるに至って、観客の中には「今はいつなんだ?」という微かな混乱が生まれます。このように時間の焦点を何気なくズラしていくことによって、「舞台上で起きていることは確固とした別の時間に起きていること」という客席の常識を覆し、近代の劇場に強力に存在した「第四の壁」(舞台と客席とを隔てる目に見えない壁)を取り払うことを試みたのでした。

その目的を達成するためにワイルダーが積み上げていく努力は見事で、上記のちょっとした時間の混乱に引き続き、極端に大昔の話をする(ウィラード教授がグローヴァーズ・コーナーズの地質学的背景について話すエピソード)、観客が既に知っている情報を舞台上の人物が後から知るという場面を設ける(ウィラード教授が舞台監督から双子誕生の話を知らされるエピソード)、舞台袖の時間が客席の時間と並行して流れていることを感じさせる(ウェブ氏が指を怪我するエピソード)等々を何気なく重ねていき、ついに観客が舞台監督と直接話をする場面に至ります。その丁寧に壊していく感じ、観客に「いつの間にかここまで連れて来られてしまった」と思わせるいわば理知的な魔法を、劇作家としては是非とも使いこなせるようになりたいと思ったのでした。

そして、近代的な感性を破壊した後にワイルダーが何を見せようとしたのか。

📷

商品詳細を見る今回のテキストとして使われたのはハヤカワ演劇文庫の『わが町』(鳴海四郎訳)ですが、この本には水谷先生による細かな訳注と解題がついています。とてつもなく壮大な副音声を聴いたような感覚を覚えますので、よろしければ是非チェックしてください★


打ち上げの席での水谷先生(左)と私。 ブログに載せるための写真を撮らせてくださいとお願いしたら、なぜか突然、昼間に行ったという平成中村座の劇場の写真を見せてくださり、「・・・は、早く撮って!」とのことでしたのでこんな写真になりました。 私の下の親知らずが歯茎の中で横向きに生えてしまっていることが発覚したとき、「本当に抜かなければならないかもう一度確かめた方がいい」と熱心に助言してくださった、医者嫌いの恩師です。

黒川陽子

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